みかんせい入塾
僕が入塾したのは中学2年生の初めの頃でした。
2年生になってからの初めての定期テストの結果がとても悪く、親に無理やり入れられました。
最初は正直、全く行く気がなく知っている友達も少ししかおらず、勉強する気もありませんでした。
塾に行っても、部活の後で眠かったり、頭が働かなかったりする時が多々ありました。
ですが、みかんせいでは、授業形式ではなく、個人に合わせてくれたので、勉強が苦ではありませんでした。
その時は、部活と遊びが中心で、勉強はおまけみたいなものでした。
そして時が過ぎ、3年生になり部活も引退し、いよいよ高校受験に向けて勉強するシーズンになりました。
しかし、特に目標もなく志望校もなかなか決めることが出来ませんでした。
そんな時、先生が親身になって考えてくれました。
あまり強い意志がなく、“ここに行きたい!”というこだわりがなかった僕に、自分の意志で志望校を決断する後押しをしてくれたのが塾の先生でした。
それからは、勉強に集中するようになり、一生懸命に頑張りました。
高校受験はあまり勉強しなかったという人もいるかもしれませんが、僕はかなりヤバかったので、とにかく塾で先生と一緒に頑張りました。
そのおかげで、勉強するという習慣が身につくようになりとても感謝しています。
そして、なんとか志望校に合格することが出来ました。
僕が合格できたのは、塾の先生と塾の仲間のおかげです。
僕の通塾していた南の森校は、近くの中学校の生徒が多い塾ではなく、本当にいろいろな中学校の生徒が通塾している塾です。その中で、人見知りの僕は、皆と打ち解けるのに時間はかかりましたが、一緒に勉強し、一緒に塾でご飯を食べ、仲良くなっていくことが出来ました。そして、互いに励ました合える仲になることが出来て嬉しかったです。
『やりたいことがあったら、その目標に向かって頑張ることが大事なことなんだ』
そんな当たり前のことを、僕はみかんせいに出会えて初めて気づきました。
帯広柏葉高校合格
正直、入学してしまえばこっちのもんです。
その後は、「自分の努力次第でどうにでもなる!」そう前向きに考えられるまで、自分自身が成長したことを実感していました。
入学して最初のテストは、280人中250位でした。
それでも、努力さえすれば勉強も部活も大丈夫だと思いました。充実した高校生活を送れるはずだと。
高校での勉強は、自分でできるところは自分で学び、わからないところは塾で先生に聞けば解決出来ていました。
そのおかげで、250位という「行った高校を間違えた…」と、周囲に憐れまれる順位をとった僕でも、どんどんと順位が伸びていき、とうとう60番台まで上がることが出来ました。
大学受験でも、志望大学の探し方を塾の先生に教えてもらい、また、先生も僕以上に調べてくださり、最終的決定で少し悩んだときにも後押しをしてくれました。
横浜市立大学 国際総合科学 経営科学系合格
本当にこの塾に入っていなかったら、今の自分がなかったと思います。
この塾に5年間、勉強だけでなく、たくさんのことを学びました。
感謝の言葉をうまく言えませんが、この塾に会えた縁を、みかんせいの先生方に会えた縁を一生忘れません。
ありがとうございました。
最後に、勉強がいやだと思う人は、めげずに目標に向かってみかんせいで頑張って下さい。
みかんせい入塾
中学2年生の春、この塾に講習会から通塾し本当の勉強というものを学びました。
ただ暗記するのではなく、言葉の意味を理解する学習で、『自分でどうしてこうなるのかを説明することが出来る!』という域までに達することのできる学習でした。
それは、覚えてもすぐ忘れてしまうような短期的な記憶になってしまうのではなく、時間がたっても覚えていられる長期的な記憶となっていました。
僕は中学の定期テストなどでは、テストに向けて勉強時間は多めで学習はしていたものの、そこまで頑張れていた感じはなかったなと、今では感じています。
しかし、中学3年生となり、志望校を帯広三条高校に決めてからは、その高校に入れるように必死に学習することが出来ました。
結果は…残念ながら推薦入試で落ちてしまいました。
次に、一般入試をどこに受けようかと迷っていた自分は、普通科ではなく帯広南商業高校を選びました。
商業の勉強をしたいと思ったわけではありませんでしたが、普通科に進学し勉強に追われる日々を考えたくなかったので、商業科の受験を決めました。
(受験校を検討する際は、塾の先生とどこを受験したら良いのか、学力的にどうなのか、また、自分の意見もしっかり聞いて下さった上に、自分がどう考えているのかまで察して下さり、スムーズな話し合いで、受験する高校を決めることが出来ました。)
帯広南商業高校合格
高校に入学する前から大学には行きたいと思っていたので、塾には通い続けました。
そして、勉強に追われない日々だと思っていた高校生活でしたが、検定を数多く取得しないといけなかったり、テストが多かったり、毎月何かしらの試験があり本当に苦労しました。
しかし、どんな方向の勉強でもこなせてしまう先生は、僕が一番苦労していた珠算までも塾で教えて下さり、本当に助かっていました。(あの時は本当に助かりました)
大学に関しては、高校1年生の頃から、ずっと先生からいろいろと話してはもらっていましたが、現実的に捉えておらず、まだ早いと勝手に大学を決めることを遅らせていました。
そんなある日、部活中にケガをし整形外科に通院することになりました。
病院スタッフの方々の対応を見ていくうちに、「自分もこうやってスポーツでケガをした人の支えになりたい!」と思うようになり、理学療法士になることを決めました。
すると、自然と大学は絞られてきて、先生と相談し志望大学を決めることが出来ました。
自分は誰かと点数や順位を競ったりはせず、中学も高校も少しでも楽に…と、考えてしまう人でしたが、みかんせい通っていたおかげで努力はしっかり継続出来ていました。
高校生活でもそうでしたが、人生に楽な道のりは無いということも学びました。
何より、目標を持って挑むことは恰好いいことだと学びました。
千歳リハビリテーション大学 健康科学部 理学療法専攻合格
勉強だけでなく、世間話や興味深い話を聞かせてもらうだけで、先生との間に壁はなくなりました。
そして、どんなことでも話せる関係へと発展していき、不安なことや辛いことも聞いて下さいました。
真剣に相談に乗ってもらえたので、たくさん頼っていました。
今までたくさんありがとうございました。
みかんせい入塾
大空中学校で僕は野球部に所属していました。
当然のことながら練習が忙しく、テストでは良い点数がとれなかった1年生の頃、このままでは「マズい!」と、先輩が通っていたのもあり、このみかんせいに出会いました。
2年生の春期講習でした。
初めて塾というものを体験し、「ここなら勉強できるんじゃないかな」、そう感じたのでしょう。
すぐに入塾し、中学校の友達もいたのであっという間に慣れていきました。
それから僕の成績はあれよあれよと上がり続けていました。
魔法のようでしたが、先生いわく「正しい勉強法だから」だそうです(笑)
最終的に3年生のときには、Aランクに達していました。
本当の意味で、勉強と部活の両立が出来ていたと思います。
部活動を午後7時までにやり、速攻で家に帰ってご飯を食べて、8時には塾にいるようにしていました。
本当にそんな日々の繰り返しでした。
テスト期間だけは部活が休みなので、夜の弁当をもって塾にこもって勉強しました。
塾に行くまでが一番つらくしんどかったのを今でも覚えています。
行ってしまえばもう後は勉強するだけです。
もちろん眠たくて、うたた寝したことはもう何度もあります。
そんなときは、先生がいろいろな手段で起こしてくださるので、ご心配なく。
そして、むかえた高校受験。
僕は三条高校をずっと目指していて、生徒会から野球部副部長、そしてAランクでもあったので推薦入試に挑戦しました。
自己推薦書の添削も先生方は快く引き受けて下さり、正直、絶対受かるだろうと思っていました。
やはり、過信は良くないですね。
落ちたんです、ハイ。
学校の先生方にも驚かれました。
あの時は、一生忘れないです。
でもだからこそ、一般入試に向けて熱が入りました。
結果は合格で、無事に三条高校での生活が始まりました。
帯広三条高校合格
僕はそのまま塾に通うことになったのですが、高校生活のあまりの楽しさに部活と遊び漬けの毎日になっていました。
塾には、テスト前だけの缶詰め状態で勉強する、そんな感じでした。
三条での成績は、かろうじて280人中100位以内をキープしていたものの、模試などのテストは悲惨なモノでした。
しかし、目標だけは一丁前に持ち続けていました。
それが、琉球大学です。
これも、塾の先生との話の中ででてきたもので、「何を学びたいかで大学を選べ」というご指導の下、志望大学を決定しました。
中学よりも高校の方が3年間はあっという間です。
またもや受験シーズンの到来です。
多くの先輩方もおっしゃっていますが、自分も同じことを痛感しました。
“1,2年生の頃にもっと勉強しておけば良かった…”です。
誰しもそう思うのかもしれません。
そしてもう一つ言えるのは、大学受験は高校受験と比べ物にならないくらい大変だということです。
こんなに苦労するとは思いもよりませんでしたが、逃げることもできませんでした。
「こうなったからには、やるしかない」と決意し、センター試験の勉強をしました。
18年という短い人生の中で、一番つらい時期で何度も投げ出したい気持ちになりましたが、そのたびに先生方はヤル気を出させてくれました。
しかし、実際そのセンター試験での点数はよくなかったのです。
やはり、1,2年生での勉強しなさすぎが足を引っ張りました。
しかししかし、そこであきらめずに2次試験での逆転合格を狙い、努力できたことは自分自身の成長を感じたところでもあります。
学校の先生は、“琉球はムリだ”と止めてきましたが、塾の先生は“いや、いける”と背中を押してくれたので、頑張ることが出来ました。
その結果は…
見事合格でした!
高校受験の時とは違い、今回ばかりは自分の受験番号を見つけた時に涙が出てきました。
本当にうれしかったと同時に、少しの自信がつきました。
自分がこれまでやってきたことは、間違っていなかったのだと。
かなり長くなってしまったのですが、このあたりで終わりにしますね(笑)
琉球大学 法文学部 総合システム国際関係合格
とにかく、ぼくが塾で学んだこと、それは、「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない」です。(←犠牲にするのではなく選択するということですね)
だから、遊ぶことも大事だと今は思います。
勉強すべき時に、やりたいことを我慢し、ひたすら頑張ればそれでいいんだと思います。
最後に、塾は学校では教えてくれないことを学び、学校では気付かせてくれないことを気付かせてくれる場所だと確信しています。
本当に本当に感謝しています。
ありがとうございました。