頂上から見る

このGW中、山に登ってきました。

 

この写真はそのときのものです。

この稜線の先にあるのが頂上なのですが、

近くに行くと岩場が多く…

結構よじ登り系の岩場でした。

 

やっぱり、近くに行かないと見えないものですね。

でもその分、頂上に行った時の気分は最高でした!

 

山登り…いいものですよ(^ ^)

 

終わりをイメージすることから始める

ことがやっぱり「気持ちを奮い立たせて、やり続ける」原動力になるかなと思います。

 

山登りの途中は、結構な勢いで「もうこの辺で帰ろうかな…」と思うことがあります。

 

その反面、「ここまで来たのだから、頂上まで行かないのはないわな」と思い直します。

 

その繰り返しではあるのですが、

なぜ思い直すことができるかというと…

「頂上に登って、下山してきた自分をイメージしてから」

山に入っているからです。

 

頂上に登っただけではなく、

そこから戻ることまで思い描いているから、

途中で帰るっていうイメージはないんですね。

 

「頂上に行くこと」はゴールではなく、

「中間地点」に過ぎない。

 

そういう風に最初からイメージしているので、

頂上に着いた達成感はあるのですが、

疲労感は…実はあんまりないんですよね。

 

これって結構大事な気の持ちようかなって思います。

まぁ…カラダは正直なので、翌日は素敵な筋肉痛でしたが(笑)

 

 

終わりを思い描くことから始める

今、あなたは愛する人の葬儀に出席するため、

葬儀場にやってきました。

 

そこには、故人を偲ぶ多くの人たちがいます。

妻や息子、娘といった家族。

共に働いた同僚。

長い間付き合いのあった友人。

皆一様に故人との出会いを横混んでいた人達です。

 

あなたは、一輪の花を持って、

故人が眠る棺桶まで行きました。

 

そこであなたが目にしたのは、

安らかに眠る故人の顔でしたが…

驚いたことにそれはあなた自身の姿でした。

 

これはこれから数年後に行われるあなた自身の葬儀であり、

ここにいる人達は、生前のあなたに対する敬意、愛、感謝の気持ちを表しに来ていたのです。

 

そんな中、あなたは席に着きました。

式次第を見ると、4人が弔辞を述べることになっています。

1人目は、親族を代表して、配偶者、子ども、兄弟姉妹、いとこの中から1人。

2人目は、あなたの友人で、あなたの人柄をよく知る人の中から1人。

3人目は、あなたの仕事関係の人から1人。

4人目は、あなたが関わってきたコミュニティの中から1人。

 

ここで考えてください。

これらの人達に、

あなた自身、あるいはあなたの人生をどのように語ってほしいでしょう?

 

彼らの言葉で、

あなたがどういう夫、妻、父、母だったと述べてほしいでしょう。

どのような友人だったのか。

どのような同僚であり、仕事をしてきた人だったのか。

 

あなたは、彼らに自分がどのような人物だったのかを見てほしかったでしょう?

どういう貢献や功績を覚えておいてほしいでしょう?

 

彼らの人生に、あなたはどのような影響を及ぼしたかったでしょう?

 

そして…

あなたはそうなるための人生の時間を使っているでしょうか?

 

 

こわいっす!

これは、7つの習慣という本からの引用です。

 

その日1日を大切に生きることはとてもいいことだと思います。

 

 でも…

そう心底思えるためには、

やっぱり「今日1日やろうと決めたことをやれた」

という充実感がないとなかなか思えないかなって思います。

 

「自分で決めたことをやり遂げる」こと

つまり…

「自分との約束を果たす」こと

 

その積み重ねが、

個人の中にある自主性を伸ばしていくことになるかなって思います。

 

自主的に生きることは、

「最高の目的」を自分の中に持つことであり、

その目的を叶える道程を歩くことです。

 

最後、自分に近しい人達に、どのように評してほしいのか?

それがきっと本当の「なりたい自分」なのではないかなって思います。

 

そういう「自主的な目的」がないと…

その日1日を大切に生きるってことにならないような気がしませんか?

 

 

より豊かな教育のために…

山田でした。

 

 

PS

葬儀のお話ですが、

 

僕としては、

「さよなら」とか「お疲れ様でした」よりも、

「ありがとう」って言われたいなぁって思いました。

それも笑顔で(笑)