14歳の君へ

この本を知っていますか?

 

池田晶子さんという哲学者が書いた本です。もっとも本人は哲学者とは言わずに「考える人」と呼んでいますけど。

 

この本を知ったのは、偶然本屋さんでした。

あれは今から8年ほど前になりますかね、南の森校を設立した当初の生徒でH口くんという生徒がいました。

ちょっと横道に外れそうな時期で、お母さんから相談を受けていた頃です。

何か彼が改心するきっかけになるものはないかと思っていたときに、書店でこの本に出会いました。

その頃も国語の要約学習はしていたので、これはいいぞと思って買ったのですが、H口くんよりも、僕の方がはまってしまいました。

 


この本には、「考えること」が自分として「生きること」になる、ということを、いろいろな題材を通じて語りかけてくれます。

考えることの大事さ、というよりも、考えることこそが人間としての最良の生き方なんだということを教えてくれます。

 

数多ある情報を知ることは、考えるとはいいません。

もちろんそれは知識にもなりません。

情報はただの情報であり、それを自分で「考えること」により、知識となる。

情報は忘れてしまうが、知識は忘れない。なぜならそれは「自分の中から考え出されたもの」だからです。

 

幸福とは何か

勉学とは何か

意見とは何か

自然とは何か


そういったことを教えてくれる…のではなく、そういったことを「自分で考えること」の大きなきっかけを与えてくれます。

 

教育とは「教えて育てる」ことではなく、

「自らを育てる方法を教える」ことだと考えています。

みかんせい知創の教育方針はまさにこれです。


ではどのようにして「自らを育てる方法を教える」のかというと、

「自分の力で考え続けること」を伝えていくことに他なりません。

小学生のどんぐり文章題の最大のテーマは「自分で考えること」を子ども達に実践してもらうためです。

絵図化は自分で考えたことを実体化することであり、

説明は理解したことを伝える自己表現となります。

自己表現の別の言い方が意見となり、自己プレゼンテーションとなっていきます。

昨今、社会コミュニケーションの中で、最も大事とされている能力の一つがこの自分の意見を言う能力です。

 

意見は「自分の考え」そのものであり、「考えたことの表現」そのものです。

つまり「考えること」がなければ、意見を言うことはできません。

そして「考えること」は誰にでもできることです。

 

しかし「考えること」を他人任せにしている人たちがあまりにも多く、

それが世論・意見の一極化を招いてしまいます。

誰かの意見を自分で「考えない」で正しいと思い込み、さも自分の意見のように言う。

そういう人が増えることで意見の一極化がいつの間にか進んでしまいます。

何となくいいから、という理由もないような理由で政治家を選んでしまうと…将来の大人である今の子ども達が戦争に加担する状況になってしまうのです。



7月25日・26日の2日間は、中3生学習会を開催します。

8:30〜22:00までの学習時間になります。

この学習会で行うことは、英語・数学・国語の3教科です。

英語は長文を読むための5文型の見極め

数学は文章題

国語は分析読みと小論文


このうちの小論文のときに、「14歳の君へ」から抜粋した題材を生徒たちに読んでもらいます。この年齢の時にしか感じられない感覚があり、この年齢だからこそ「考えること」に真摯になってほしいと思っています。


いわゆる学校の勉強とはちょっと趣を異にしますが、それと同じくらいに大事な学びではないかと思いますので、ご理解いただけると幸いです。

 

さて、前述のH口くんですが、その後はどうなったかというと…

無事(?)釧路高専に合格し、ある学年をもう一度やるという失態を演じながらも(ダブりです)、今は卒業も決まり、就職活動をしています。

本人曰く「海外で働きたい」と今年の1月に会った時に話していました。

どうなることやら…汗

まあ、横道に逸れすぎることなく、なんとか自立したのではないでしょうか…

困った卒業生です(笑)