競争心を持つ必要はあるのか?

最近は、学校や遊び場から「競争」を排除することが話題にのぼります。

 

例えば、成績をつけなかったり、ゲームはしても得点をつけなかったりすることで、

子ども達のもろい自尊心を傷つけないようにするためだといいます。

 

しかし…これによって達成されるのは、メンタル的に打たれ弱い若者を実社会に送り出してしまうことだけでしょう。それはまた、圧倒的な全体主義と自立した考えを持たない個人主義を生み出すことにもなるように思います。

 

世の中…そんなに「キレイなもの」「清いもの」「貞淑なもの」「正しいもの」だけなんでしょうかねぇ…と思ってしまいます。そういうものは、他人の姿に求めるものではなく、己の中に求めるものであり、他人の姿をやいのやいの言うのは、何か違うのではないかなぁと思います。

「他人を批判する前に、まず己を省みよ」という格言通りだと思います。

 

誰かが言ったからではなく、自分がこう考えるから、こう思うからする。

しかし「そう考える自分の考え」が本当に「自分の考え」なのかどうか。

それこそ「誰かが言っていたこと」を「自分の考え」っぽくしてないか。

そもそも「そう考えるところの自分という存在」とは一体何者であるか。

自と他を分ける境界線は身体的ではなく精神と思考のちがいから生じる。

ではそのちがいを生み出すのは…って、もう止まりま〜すm(_ _)m

 

さて話を戻します。

ある作家は「あらゆる発明の中で最も素晴らしい発明は”締め切りだ」と言っています。

締め切りがなければ、他には何も発明されなかったかもしれないからです。

 

確かに…期限がないと「明日にしよう」「今後にしよう」と、

いつまでも来ない明日と今度ばかりになってしまうかもしれません。

でも「意志の強い」みなさんは…きっと大丈夫ですよね(^ ^)

 

そうであれば、2番目に素晴らしい発明は「競争」に違いありません。

競争がなければ、他の多くの発明は開発されることなく、販売もされず、認知もされずに

衰退していたことでしょう。

 

競争は、他者との戦いでもあるし、自分の中の「過去と弱さ」との戦いでもあります。

でもそういうことだけじゃなく「よりよいもの」「よりよいこと」を追求することも

競争なのだと思います。

 

アスリートがよく口にする言葉

「もっと上手になりたい」

というのはまさに「よりよいもの」の追求ですよね。

 

みかんせいの生徒達は、果たして「競争心」を持っているのか?

「行きなさい」と言われているようではまだまだです。

「行かなきゃ」と言ってくると芽が出始めています。

「行きます」と言っていたら…競争心を持っています。

 

よりよいものの追求

それは「自分に対する高い要求」と

「自分に対する高い理想」を実現するための競争が生み出す心

 

そして…

そのためには、自分の中にある「怠け心」に打ち勝たないといけません。

それもまた競争の一つですね(笑)

 

だってねぇ…

競争は、勝たないと面白くないですもの。

 

それではまた、別の機会にお会いしましょう。