セミナーに行ってきた

今の日本の英語教育の現状とアジア各国との教育の差、

および大学で求められる英語力についてのセミナーに行ってきました。

学校教育における「標準意識の格差」を知らされました(ー ー;)

まぁそれはさておき…。

 

日本人は英語ができない…

というのは、まぁ昔から言われていることで、

その原因は何だろう…という議論も昔からされています。

そして、できるようにするにはこうしよう的な数値目標も掲げられます。

実に30年前くらいから同じことが言われ、

同じような議論をし、同じような数値目標が掲げられ、同じように…。

 

30年前からですからねぇ…

その時生まれた人は30歳です。

結婚し、子供もいる人もいるでしょう。

さぁその間、何が変わったのでしょうか…?

きっとその人も、その人の子供も同じようなことを聞いているでしょうね。

 

日本人は英語ができない…

 

文法中心だからダメだとか

語彙ばかり覚えているからダメだとか

結局聞けないのがダメなんだとか

積極的に話さないからダメなんだとか

日本にいるんだから英語ができなくてもいいだとか

 

ダメな理由とできない理由は山のように出てきます。

なぜそんな理由ばかりが出てくるのか?といえば、

「できない人」が多いから、です。

まぁ…軽い言い訳と他責ですね。

 

でもこれらは本当にただの言い訳です。

できない一番の原因は「勉強不足」です。

あとは「経験不足」と「他人任せ」です。

 

もちろん現場における「指導力不足」と「工夫不足」もあります。

でもこれは「勉強不足」と比較すると小さいのです。

 

なぜなら…

すべての日本人が「英語ができない」わけではありませんよね。

ではなぜその人たちは「英語ができる」のでしょうか?

答えは…もうわかりますよね。

勉強しているからです。

 

右に倣えで落ち着いている人は…そりゃできないですよ。

これは良くない。

 

ですが…

勉強する環境にいないと、なかなかできるものではありません。

この環境を作るのは、学校を作る人たちであり、学校を作るのは時の政府の人たちです。

まぁ…官僚の人たちですけどね。

そして、私たちのような私塾もそういう環境を作る人たちの一部です。

なので…、結構な責任があるんですよね。

 

英語は言語の一部であり、コミュニケーションツールの一つです。

私たちにとっては「母国語以外の言語」です。

だから「自然と身につく」ものではありません。

 

小さい頃から英語をやろう!という風潮は、

悪くはないですが、疑問です。

「apple」の発音がなんぼ上手でも、それほどの意味はないんですよ。

なぜなら「りんご」って言葉はそんなに日常で使いませんし、

「apple」の発音が多少下手でもきっと通じます。

 

それに英語が世界言語と言われている理由は、

「英語を使う人たちは、ネイティブ(英米その他)の人たち以上に多いから」です。

つまりは「ネイティブじゃない」人たちのほうが圧倒的に多いのです。

ネイティブが4億人、それ以外が17億人以上です。

だから…ネイティブ発音に拘ることはないのです。

まぁ…上手に越したことはないですけどね(笑)

 

他国の言語を学ぶ時には、

少なくとも、

母国語の語彙を知り、

母国語でコミュニケーションができ、

母国語の文章を理解でき、

母国語で意見を言える。

つまりは「母国語で考えることができる力」がないときに、

他国の言語を学んでも意味はないでしょう。

だから、発達段階に応じた他国言語の学習をしなければならないのです。

早ければいいというものでは、やはりないでしょうね。

 

それよりも「言語に対する根本的理解力」をつけない限りは、

英語も、きっと母国語も理解できないと思います。

勉強する、ということは、

この言語に対する根本理解力を上げることに他なりません。

それが昇華した先に、言語を超えるものへの理解、直感的理解があると思います。

このことは、今回のテーマでないのでここで止めておきます。

 

言語に対する根本的理解力

簡単に言うと「読解力」です。

それで…読解力は、

たくさんのことを知ることよりも、たくさん考えることで大きく伸びます。

たくさんのことを知ることは、たくさん考えることができるリソースを得ることでしかありません。

たくさんの語彙や語句を知り、その意味を知れば、表現が豊かになり、考えも豊かになる。

たくさんの経験をし、たくさんのことを感じることで、感性が豊かになり、感情も豊かになる。

他人と対話し、自分と対話する。

この繰り返しが、読解力を伸ばしていくと思います。

 

もし…他人と話す時に、

英語を使わないといけないなら、英語を使う。

日本語でいいなら、日本語を使う。

そうした、他者とのコミュニケーションをとるために、

英語や母国語を学ぶのです。

 

話す相手が外国の方なら、外国の文化も学ぶのです。

自分が海外へ行くのであれば、その国も文化は学ばねばならないでしょう。

海外から日本に来るのなら、日本の文化を伝えるためにも、それを学ばねばならないでしょう。

当たり前のことです。

 

そして学ぶためには、言語への理解が必要なのです。

根本的読解力は、言語の種類を選ばないはずです。

ただし…勉強しないことには伸びません。

それは、表現としての言語とはまた違う理解ですから。

 

私たちは、ものを考える時に「母国語」で考えます。

それは根本的読解力のベースが「母国語(日本語)」だからです。

でももし、根本的読解力が「英語」になるのなら…

きっと「別人格のあなた」の思考や行動が生まれると思います。

 

それはさておき、

表現としての言語、この場合「英語」ですが、

それが「できない」といって嘆くより、

もっと伸ばすべき力はあると思います。

 

さて…

そうはいっても、表現としての英語も伸ばしたい、というのが心理ですよね。

方法は簡単です。

日常的に「使う」のです。そうすれば伸びます。

きっと多くの大人たちが言う「自然に」身につくことができるでしょう。

家庭の中で英語を聞く、話す、読む、書く、つまり「使う」のです。

伸びそうでしょ?(笑)

 

まぁ…方法は簡単ですが、実際は難しいですよね。

わかります。

下手に英語を使おうものなら、非難轟々ですものね(涙)

 

だからなのですが、やっぱり「一緒に学ぶ」のがいいのではないかと思います。

DVDやブルーレイを見る時に英語字幕にするとか、

1日1行でもいいので英語の文を辞書などを使って書いてみるとか、

なんでもいいので英文を読んでみるとか、

そういったことの習慣化だと思います。

英語を使う環境を家庭でも作るのです。

質問するだけじゃなく、質問をさせる。

そういう環境を家庭の中で作るのです。

つまり「英語は学習教科の一つじゃなく、

日常で使うための言語なんだ」ということを体験させ、意識させるのです。

 

あとは…

私たちにお任せ下されば…(^ ^)

 

でもご安心ください。

英語ができる人たちの親御さんみんなが、英語ができる訳でもありません。

ただ、英語ができる親御さんの子供は、英語ができる割合は高い…かもしれません(笑)

まぁ…そんなデータは僕は持っていないので、よくわかりませんが…(笑)

 

いずれにせよですが、「きちんとした十分な勉強」をしていないのに、

できるとか、できないとかは論じても仕方がないのではないかなと思います。

学校だけの学習ではまだまだまだまだ足りないんです。

 

英語力の伸びは「実質の学習時間」に比例します。

「学校で6年間勉強してる!」といっても、

実質時間は「1000〜1500時間」程度です。

英語習得に必要な時間は「3000時間」と言われていますから…

実に「1500〜2000時間」の学習不足です。

そりゃぁできませんて!

 

だから、本当に「できる!」と言えるようになるには(感じるようになるには)

ある一定以上の時間を学ぶしかないんです。

それが不足していることをまずは自覚しないといけません。

 

その時間を勉強したのにできない!というのなら…

そのときは「日本人は英語ができない…」と嘆きましょう。

それが日本人全体なのか、個人なのかは、ここでは論じませんが。。。

でも、それだけやれば、まず間違いなく「できる」ようになると思いますよ。

「できる」の定義が、

「聞く、読む、話す、書く+使う(コミュニケーション)」であればです。

 

もしアカデミック的な英語を必要とするなら、さらに時間を要するでしょうが、

それは英語に限らず、日本語においても同じです。

 

 

ということで、

久しぶりのブログなので、長くなってしまいましたが、

また別の機会にお会いしましょう。

山田でした。