受け身もいいものです

SMAPが解散してしまいますねぇ…

 

とはいえ、

僕個人的にはファン!という訳でもなく、

CD買ったこともないですし、

ライブを観たこともないです。

署名もしてませんし、

しょせんテレビやネットで見るくらいです。

曲も有名どころしか知りませんし、

B面曲とかアルバム曲とかになるともうさっぱりです。

 

でも、SMAPのことはなんか好きです。

嫌いって感じが沸いたことはないです。

HEROは観ましたし、

僕と彼女と彼女の生きる道は録画してました。

土曜の夜は何気にチャンネルを替え、

暇な時間が合えばバラエティも観てました。

さらば愛しのヤクザって映画での演技には何か惹かれるものがありました。

 

少なくとも山冠に風と書くグループよりも「国民的」って言葉が似合う気がします。

あくまでも個人的意見です。

 

ファンの方達はもちろんのこと、

ファンでもなんでもない僕のようなヤツでも、

どうしてSMAPを支持するのかなぁと…。

 

 

この秘密がわかれば…

みかんせいにもっと生徒が集まる。。。かなぁ(笑)

 

○○される

秘密って訳でもないのですが、

これはやっぱり「愛されている」ことが理由だと思います。

 

この「愛される」ばっかりはね、

自分の力でどうこうできるものでもないのです。

 

「愛される」

というのは受動的行動の中でも最上位の行動ですから。

 

ではなぜ「愛されたのか」

「愛され続けたのか」

というと…

 

きっとそれは僕が語ることでもないでしょうね。

 

それぞれの気持ちの中にあると思います。

形にならない想いというものが

高いレベルで集約した結果の「国民的」なのでしょう。

 

活かされる・生かされる

「活かされる人になる」のは、

簡単なようで意外に難しいものです。

 

一方的な要求を受け入れるような「〜される」はラクなのですが、

他者や周りの人たちから積極的に「〜される」のは…結構な努力が必要なように思います。

 

なかには「敢えて周りの人が自分に何かをしてくれるような心理的テクニック」を使って、相手をコントロールする「〜される人」もいるのです。

しかしこのことは積極的に相手に「〜させる」ことによって、自分が「〜される」ということなので、活かされる人になるとはまた違う気がします。

 

他者や周りから「活かされる人になる」のは、

その人本人の努力と成果と人柄と経験の積み重ねかなと思います。

 

その人が「活かされる素材になっているかどうか」が重要なのではと思います。

 

例えば…

板前さんは「魚を活かす」人ですよね。

でもそんな「魚を活かす人」でも、「活かされる魚」が半分腐っていたりしたら…活かしようがないわけです。

活かされる魚も活かす板前もどちらも大事な存在なのですが、

どちらかといえば…活かされる魚の方が重要かなと思います。

だってねぇ…旨い魚は誰が料理しても旨いでしょうから。

 

そんな「活かされる人になる」にはやはり不断の努力を重ねているわけで、

それがないとね…本当の意味では「活かされない」のではないかと思います。

 

ちやほやはされることはあるかもしれませんが、長続きはしないでしょうね。

 

学ぶことは「活かされる人」になることも、「活かす人」になることもできます。

この両方はクルマの両輪のようなものなので、どちらかが欠けてもね、いけないです。

 

SMAPは、日本国中の人たちから「活かされている人たち」だったように思います。

そんな人たちにも関わらず、一部の「活かす人たちなはずの人たち」が権力的狭量で何かを決めるのは、なんとも怖いことです。

ここは法治的民主国家なのですが、なかなか世論というものは、企業という独裁社会には届かないようですね。

 

実際、SMAPが解散しても、僕には何にも関係がなく、生活が変わることはないんですけどね。

寂しい感じはしますが、それも新年を迎えた後は忘れるでしょうし。

 

でも、これだけ日本国中から「活かされて、愛されてきた人たち」はなかなかいないと思います。

 

個人ではいると思いますけどね、

グループであり、そのグループ各個人レベルでもね、活かされて、愛されてきた人たちっていうのは…寡聞にして聞いたことがありません。

 

 

「活かされる人になる」

というのは、みかんせいの指導理念の一つです。

 

それを20数年以上に渡り体現し、

尚且つもう色褪せることない存在になったことは、

ファンでもなんでもない、

僕のような立場の人間から見ても、

尊敬に値するなぁって思います。

 

すげ〜な…

 

単純に、心からそう思います。