さて上の図ですが、上下の長方形、どちらが大きいでしょうか?
賢明なみなさまならお分かりですね。
そうです。答えは「同じ大きさ」です。
でも…、下の方が大きく見えますよね?
これは感覚が、周りの影響を受けて錯覚してしまう「錯視画像」と呼ばれるもので、
多くの人は「下の方が大きい」ように見えてしまうのです。
実際に重ねると同じ大きさなんですが、どう見ても下の方が大きい。
周りの状況(この場合、内向きの線と外向きの線)の要素によって、
こういうような錯覚を起こすんです。
これが「思い込み」というものなんです。
次の「思い込み」もきっと経験があるのではないでしょうか?
探しているものほど見つからない…
何か探し物をしているとします。
いくら部屋中を探しても、ひきだしを開けても見つからない。
そんなときに限って、ちょっと急ぎの用事があったり、
すぐに出かける用事があったり…。
あぁどうしよう!
と思って、誰かに聞くとすぐに見つけてしまう。
さらに、そこはさっき探していた場所だった…。
まぁ、そのあと大抵「よく探しなさい!」くらいに叱られる(ー ー;)
決して、僕が探すのを諦めたあとに、
誰かがそっと置いたわけではないでしょう。
ウチにも校舎にも妖精はいないでしょうから…。
前から、ずっとそこに「あった」にも関わらず、
自分が夢中で探しているときは、
なぜかまったく見えていない。
絵本の「みっけ」とか、見つからなくて腹立つことってありませんか(笑)
それでこれの何が問題だったかといえば、
当然「自分」です。
見えていない自分。
これはこういう日常に限らず、
生徒の勉強を見ていてもよく起こることです。
「見直ししたはずなのに…」
「自分は、こう書いたつもりなのに…」
こういうケースをあげると枚挙に暇がないほどです。
こういうことが「思い込み」なんですね。
「大丈夫です!」の後の、「あれ?」
生徒のよくある反応の一つです。
勢い勇んで「どんぐり、できました!」と持ってくるのですが、
説明している間に「あれ?」と言って、
苦笑いで席に戻る。
数学の方程式でも、
「これ、図も式もあっているはずなんですけど、何回計算しても答えが出ないんです」
確かに、図も式もあっているけれど、
よく見ると移行のときの符号が変わってなかったり、
単純な引き算なのに間違えていたり…。
「あれ?何度も見直したのに…」と言って、
説教を食らう。
英語のスペルミス
社会の人名
理科の用語
ちゃんと書いたはずなのに、間違っている。
こういうことはしょっちゅう起こっています。
こういうものもすべて「思い込み」なんですね。
どんな思い込みかというと…
「合っている」という思い込み。
特に計算ミスを「自分で見つけられない」子は
思い込みが激しいです。
だいたいにおいて、自分に対する素直さがない子がよく間違います。
挙げ句の果てに、問題にケチをつけ始めます(笑)
おいおい、キミはどんだけ数学のできるヤツなんだ!
とツッコミを入れてしまいます。
思い込みの強い人は、
プライドが高い人が多いので、
自分の「ミス」や「見落とし」を認めないんですね。
「ちゃんと見た!」という過信なんですけども…。
まぁ…。
さっき、鳥串を持つときに使っていた紙ナプキンを、
「あれ、さっきここに置いたはずなのに、ないなぁ」
などと言って探していた僕が言える義理もでないのですが(´Д` )
思い込みは決め付けと一緒
なんだと思います。
きっと僕も含めて一番「嫌いな」ことではないでしょうか。
このように「思い込み」があると、
適切な対応ができなくなったり、
物事の本質が見えなくなったりします。
そしてその結果は…
自分自身に返ってきます。
思い込みで周りが見えない、
適切な判断ができないというケースは、
日常でも仕事でも勉強でもよく起こり得ます。
「これはこうだ!」と決め付けるのではなく、
「もしそうじゃないとしたら…?」など、
偏った考えから抜け出すための自問を常にする習慣をつけないとですね。
思い込みは、過去の自分の経験や記憶からくるものが多いですから、
物事をいつも新しくフラットな状態で見れるようになりたいものです。
子どもの方が、「間違い探し」が得意なのって、
きっといつも新しい目で見ているからなんでしょうねぇ。
より豊かな教育のために…
山田でした。
PS
最近、アプリで「Hidden City」というものをしたのですが、
なかなか、「見えてない」ことに気付かされます(笑)
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