悩みながらだね

いきなりですが…

いきなりでしたね(笑)

 

みかんせいで行う文章題は、

「目で見えるように絵や図して考える」

ことが基本です。

 

この問題は「割合」「%」を使う問題で、

小学生のキライな単元の一つですが、

絵や図にするとよく「見える」ので、

「解ける」「分かる」ようになってきます。

 

自分自身で考えたことなので、

説明するといっても、

「自分がどのように考えたのかを

もう一度思い出して、話をする」

という感じになります。

 

ここで最も大事なことは

「自分が考えたことを伝える」ことであり

自分で最後まで考えた」ということです。

 

この「最後まで考えた」が次のような表情につながります。

 

よく頑張りました〜でも、ここまでくるには長い道が…

できました!(^^)!
できました!(^^)!

最後まで一生懸命に考えた結果、

正解しました。

だから、こんなに嬉しいのですね。

 

そうはいっても、

いつもいつもできるわけでもありません。

 

実は…

この子は、以前ズルをしたことがあります。

 

どんなズルかというと、

てきとうな絵をかいて、

答えを写した、

というズルです。

 

そういうときは、

自分のかいた絵や

どうしてそういう答えになったのかを説明することはできません。

 

どうやってやったのかを説明して、

と言っても説明などできません。

 

だから問い質すのです、

キミはこの問題をきちんと考えたのかい?と

 

返事は、

はい、

といいますが、

しかし不正をしたことは自分でよくわかっています。

 

だから口を閉ざして、

下を向き、

何とかやり過ごそうとします。

 

しかし、

みかんせいはそれを許しません。

そんな不正は許しません。

 

意味のない〇(マル)で、

無意味に褒めるような塾ではありません。 

 

僕はこの子のノートを思い切り破り捨てました。

 

そして言いました。

二度と勉強なんかするな、と。

不正をする人間はみかんせいにはいらない、と。

そんな生徒を教えたくはない、帰れ、と。

キミのしたことは、学習に対する重大な裏切りだ、と。

キミはとんでもない卑怯者だ、と。

 

この子は大泣きしました。

 

自分の不正の”重さ”が

分からなかったのでしょうが、

自分で考えないことが

どれだけ愚かしいのか、

どれだけ卑怯か、

気が付いたのだと思います。

 

その後、

難しい問題に何度もぶつかりましたし、

投げ出すときもありました。

 

そのたびに「厳しい」指導を何度も受けましたが、

何とか食らいついて頑張っています。

2012年3月、小3生のときの出来事です。

 

もう6年近い前の出来事です。

 

答えなんかどうでもいいのです。

 

小学校時代は、

どれだけ一生懸命になって

考え続けることができるか、

が大事なのです。

 

そのためには、

できない問題から逃げない我慢が必要です。

できない問題を考え続ける忍耐が必要です。

できない瞬間の自分を受け入れる勇気が必要です。

できたいと強く思う欲求が必要なのです。

 

知的欲求がなければ、

向上することは絶対にないですし、

できなくて悔しいと感じなければ、

前に進むことはできません。 

 

みかんせいの算数学習は、

そういうことも教えています。

 

それに…

美しい解き方なら、

必ず正しい答えにたどり着きます。

 

それが算数というものの不思議であり、

楽しさなのです。 

 

さて、

この生徒は今、中学3年生になっています。

高校受験まであと100日を切った現在、

帯広の柏○高校に向けて勉強しています。

 

時間の流れっていうのは

不思議な力がありますね。