宿題を終える人と終わらない人

さて、夏休みもあと半分、2週間程度となりました。

あっ、帯広の場合です。

福井は…あと一ヶ月近いですね。

 

帯広の夏の特別講習会も昨日でちょうど半分が過ぎました。

順調に学習を進めている生徒たちもいれば、

学校の宿題に追われている生徒もいます。

もちろん、終わらせた生徒もいますし、

予定通りに進んでいる生徒もいますが…。

 

そんな中でも「ほぼ全くやってない…」子もいます。

 

さて、宿題を終える人と終わらない人

その差は一体なんなのでしょう?

 

やる気の問題?それとも…

当然ですが、「やる気」の問題はあります(笑)

その気がないとね、人は行動には移しませんから。

 

しかし「やる気」に頼っているようだと

きっといつまで経っても「やる」には至りません。

残念ながら、そういうものです。

 

というもの…

宿題をやらない子でも「やる気がない」訳ではありません。

「やる気はある」のです。

ただ…「やるという行動にならない」だけです。

 

つまり「本来するべきことを先延ばしにしてしまっている」のですね。

問題はこの「先延ばし」です。

 

やろう、やろうと思っているけれども、

「結局やらない」

 

キッチンをキレイにしようと思っているけれども…

洋服タンスの中を整頓しようと思っているけれども…

洗濯機を洗浄しようと思っているけれども…

玄関を掃除しようと思っているけれども…

「結局やっていない」

 

なんてことはありませんか?

 

かく言う僕も、

本棚を整頓しようと思って…はや数ヶ月

 

人間は「思考が行動に移る」と言いますが、

案外そうでもないのかもしれませんね。

 

思考は現実化する

とはナポレオン・ヒルの言葉ですが、

それは

「思考は、

”行動が伴って、

更に周りの人たちを巻き込んで、

多くの人たちの協力があって、

数えきれない努力と失敗の末に、

多少の運も重なる幸運があって初めて”

現実化する」

のだと思います。

 

思ったり、考えたりしただけでね、

何かが現実化するのなら、

この世の中はきっと阿鼻叫喚か酒池肉林のどちらかでしょう。

 

ちょっと話が逸れましたが、

思考には「感情」と「行動」がなければ、

頭の中だけの想像で終わってしまいます。

 

やる気ではなく、何をやるのか順番を変える

さて、宿題を終わらせられない子は、

実際にやっていないから終わらないのであって、

宿題をやる気があるかどうかは問題ではないのです。

 

そして、宿題が終わらない子は、

やる気のあるなしではなく「何をいつまでに」がないのです。

つまりは「行動予定」です。

 

だけど、行動予定はあくまでも「予定」です。

例えば、今日は「算数と国語と作文」をする、と予定していても、

なかなかはかどらないことってあると思います。

 

作文からやろうとするけど、

やる気が起きない。

 

さて、その時どうしますか?

①気分を変えるために、YouTubeを見たり、漫画を読む。

②気分を変えるために、算数をする。

 

もし仮に今日、作文ができなかったとしても、

算数や国語ができたのなら、それは「宿題は進んだ」ことになります。

 

でも、YouTubeを見たり、漫画を読んだりしても、

「宿題が進んだ」ことにはなりません。

きっといつの間には4時間5時間の時間が過ぎていることでしょう。

そして、今日もしなかったと言う罪悪感と自己嫌悪に苛まれながら、

またテレビを見てしまうのです。

ヤバイ無限ループってやつです。

 

目的は「宿題を終えること」

ですので、どちらがいいのかは一目瞭然です。

 

ある事Aをやろうとして、気持ちが乗らないときは、

次の優先事項ある事Bとかある事Cをやってみる事です。

 

そうすれば、ある事Aはできなかったとしても、

BとCが進捗すれば、それは「進んだ」ことになります。

 

それに「何もしなかった、今日…」と言う罪悪感もきっとなくなるはず。

気持ちのいい一日にするか、

罪悪感の一日にするか、

やる気が出ないで先延ばしにしてしまいそうな時は、

別の仕事をやってみるのも効果的な方法です。

 

ですから、予定通りに100%行かなかったとしても、

予定の60・70・80%が進んだのなら、

それは「本日の成長」になります。

そんな時でも「自分を誉めて」

明日への活力にしていきましょう。