つながることは、伝えること

つながることは伝えること

 「えんぴつ」という言葉から、何を思い浮かべますか?

 きっとみなさん字を書く道具を思い浮かべると思います。

 では、「せんぴつ」という言葉から、何を思い浮かべますか?

 きっとみなさん何も思い浮かべることができていないのではないでしょうか。

 「せんぴつ」というのは、習字用の筆のように太い大きなえんぴつのことです。

 主にテストなどの採点の時に使い、大きなマルをつけるときに使います。

 

 という説明をすると、みなさんの頭の中にはどんなものが浮かんできましたか。

 テスト用紙を前にした先生が「せんぴつ」を使って採点している姿がうかんできませんか。

これが、イメージの共有化です。

つまり相手に対して言葉で伝え、自分と同じ映像を相手の中に作る、ということです。

 

思ったことや考えたこと、自分の中のイメージを、言葉と絵図で伝えることで、

同じイメージを共有する。

このイメージの共有化が、相手を理解し、自分を理解してもらう“つながり”を作っていきます。

親と子、先生と生徒、友人同士、そしてこれから出会う人たち…とのつながり。

英明塾は、教育を通じて、人と人とのつながりを大切にしている十勝の塾です。

 

しかし、自分の中に思い浮かんだことを上手に表現できない子が、昨今非常に増えています。

それは、言葉の力である「語彙(ごい)力」の不足と表現の力である「説明力」の低下が主な理由です。 幼少時からたくさんの言葉に触れてこないと、自分が感じている感情を言葉に乗せて表現することができません。そうした言葉による表現ができないと相手に説明もできません。

また、言葉からイメージする映像も同じです。幼少時から小学生時にかけて、たくさんの絵や景色を見てきてないと、イメージ力がつかないので、絵や図をかこうにもかけず、表現しようにもできないのです。

 

なぜこのようなことが起きているのか? それは、子どもと一緒に本を読む、子どもと一緒に自然を見て感動する、本気になって子どもと対話する、

こうした子どもと共有する時間が圧倒的に少なくなってきているのが原因です。

また、同じようなものばかりが氾濫するあまり、どこにいても同じことしか見えない、どこにいても同じことをやらないといけない、というような一種強迫観念に取りつかれているのも原因です。

情緒的な感性を発達させるのは、9歳までが限界といわれています。これは脳科学的にも証明されており、脳は9歳までで95%は完成するのです。その時期までに、いかに多くの言葉に触れ、情景に触れ、感受性を磨いておくことが重要であり、その後の思考能力を発展させていく源になるのです。

 

よく応用力がなくて…、ということを聞きますが、応用力は基礎力がないと伸びようがありません。

言葉やイメージを理解する読解力がなければ、応用的な思考力はできず、論理的に考えることも難しくなり、短絡的で感情的な言動と行動で自分を表現するしかなくなっていくのです。

応用力は、何も文章題を解くための能力でなく、物事を多面的に考え、判断する能力をいいます。

 

英明塾には、昔話の「桃太郎」を読んだことのない中学生が通っています。教科書の読めない生徒もいます。

それも一人や二人ではありません。500点満点の定期テストで160点の生徒もいます。200点の生徒もいます。

それも一人や二人ではありません。これは、この生徒たちの勉強不足の結果なのでしょうか。答えは否です。

 

完全に大人の責任です。大人が、大人としての責務を全うしなかったからこその結果です。

もちろんこの生徒たちが正しいということではありません。この生徒たちも自分の現状を理解せずに、わからないことをそのままにしてきた結果です。

しかし、子どもに「現状」を伝えるのは大人の役割であり、「現状」を理解させるのも大人の役割であり、「現状」から何をしなくてはいけないかを指導するもの大人の役割です。それが教育なのですから。

個性を伸ばす、という耳触りのいいセリフがありますが、個性とは自らが学び、読書をし、勉強をし、体験して得られる結果としての自分であり、決して手つかずの荒れ野を指すものではありません。

教育において、放任主義などというのは存在せず、それは幼少時にしっかりと人間としての生き方を叩き込まれた小学校後半からの生徒に対してのみ対応できるものです。幼少時からの放任は、何もできない、何も考えることができない子どもを作ることにしかなりません。

価値観すら、強制しなくてはいけないのです。他人の物を盗んではいけない、という価値観を植え付けられなかった子は、将来において幸福になるでしょうか。それと同じように、言葉の理解力が思考力を高めるという価値観に出会わなかった子は、将来において自己表現のできる人になれるでしょうか。

 

叱ることは、価値観の強制になりますが、価値観はそれに触れなければ身につかないものです。

大人が本気になって、子どもの現状を伝えなければ、子どもは「自分の現状」には気が付かないのです。

叱るとは、子どもに対して真剣に向き合わなければできません。子どもを見ていなければできません。

決して感情的に怒ることではないのです。それは、怒りをぶつけているにすぎません。

子どもは大人の怒りを無条件に受け入れる存在ではないのです。

子どもは大人の無意味なプライドを守る存在ではないのです。

 

教育は圧倒的に手がかかります。心もかかります。時間もかかります。

何一つとして手は抜けないのです。心は抜けないのです。そして時間は流れるのです。

そうして無作為に流れて、やるべき経験を積まず、触れるべき情景に触れず、語られるべき言葉を伝えられず、体だけ大きくなっていく子どもたちの現状に気が付いた時には、かなり厳しい状況になっているのです。

具体的には、先ほど述べた塾生のようになっています。

 

英明塾は、そういった子に対しても、真剣に向かい合っています。

桃太郎の読めなかった子は、今では家庭で母と教科書を読む練習をしながら、塾では星新一の物語を読むにいたっています。1年以上の歳月はかかりました。

前期期末テストで160点だった子は、学年末テストで290点になりました。社会は80点以上取りました。

すべて、本人たちの努力の賜物ですが、私たち英明塾講師は、彼らに対して思い切り叱りました。

ときには、強すぎる語調で彼らに現状を伝えました。親とも何度も面談しました。親こそ現状をわからないといけないからです。しかし、親も「自分の現状」に気が付いていないのです。これは子ども以上に憂慮すべきことだと思います。自らの役割を果たせていないのですから。それを、塾の講師に対して求めるのですから。

しかしながら、我々は親ではありません。何とか上記のようにすることはできますが、そうではないのです。

 

子どもの学力が低下してきている最大の原因は、大人の不在なのです。

子どもと真剣に対話できる、子どもにきちんと現状を伝えることができる大人の不在が、最大の原因です。

 

大人が自らのイメージするところを、考えていることを、きちんと伝えることができていないのです。

大人は説明することから、逃げてはいけないのです。

好かれる、嫌われるは、相手の判断であって、話をする側の判断でしてはいけないのです。

話をする側の大人は、それは子どもでも同じですが、伝えるべきことを、相手がわかる言葉を使い、相手が見える絵や図を使い、最大限の心配りをして、一生懸命に、直接、伝えなければならないのです。

 

教育とは、自分の力で育っていく方法を教えることであり、自分のイメージや考えを相手に伝えることのできる人間を創りあげていくことなのです。大人の役割は、その一点のみといっても過言ではありません。

 

もちろんそれを維持するためのお金は必要です。だから働くのです。

その働く姿を見せることも大事なことです。

働いている中で苦しいこともあるでしょう。ですが、その姿を見られることに何のためらいがありますか。

親はかっこいい存在ではなく、頼りになる存在であればそれでいいのです。

 

子どもの生の声を、聴きましょう。子どもに生の声を、話しましょう。

そうすれば、イメージの共有化、つまり、相手を理解し、相手に理解してもらうというコミュニケーションは自然とできます。

最小単位である親子のつながりが、その後多くのつながりを生む心の土壌になります。

もちろん親子だけじゃなく、一人の先生と一人の生徒としてのつながり、友人同士のつながり、先輩と後輩のつながりも、その後多くのつながりを生む心の土壌となります。

そして、一人の大人と一人の子どもとしてのつながりを、子どものうちから経験することは、必ずその子の人生を豊かにしてくれます。情緒を豊かにしてくれます。

安心も、ムカつきも、愛しているも、大嫌いも共有できるからこそ、つながるのですから。

 

大人として子どもと真剣に向き合いましょう。

これは、誰かの責任で、誰かに任せるものではなく、

自分自身の大人としての自覚と責任において、実行すべきことです。

ときに穏やかに、ときに猛々しく、しかし愛情を持って、子ども達に正直に向き合いましょう。

その中で培われる学力は、本当に自分が自分として生きていける場所へと導いてくれます。

学力は、生きる力ではなく、自分が自分になれる力のことです。それが本当の個性なのです。

簡単には手に入りません。掴み取ることはできません。

たゆまぬ不断の努力の結果として、自分に何ができるのかに気づき、本当の個性を得ることができるのです。

 

大人の勝手な判断で、子ども達との関係を希薄にしてはいけません。

大人の勝手な判断で、子ども達の可能性を小さくしてはいけません。

 

子どもも大人も同じ人間なのです。

言葉を使い、絵や図を使い、理解し、理解させていくことで、同じイメージを共有していくのです。

 

つながることは伝えること。

心を尽くした言葉を子ども達に伝えている十勝唯一の塾だと、英明塾は自負しています。

英明塾は、現状を把握したうえで、そこからスタートする学習をする場所です。

今から、私たちと一緒に頑張りましょう。