松茸よりシメジです

とはいえキノコの話ではありません笑

 

松茸は美味しいですが、

人は普段食べるものをより美味しいと思うので、

僕はシメジの方がいいかなと思います。

 

決して、松茸を食べたことが数回しかないわけではありません…

 

とまぁ、そんなことはどうでもいいのですが、

ちょっと松茸を食べる機会がありまして、

その時にこんなことを思い出しました。

 


太閤になった豊臣秀吉は、稀代の人たらしとして有名です。

いわゆる天下統一する前も、後も、それは変わることはありませんでした。

人たらしというのは、人への洞察力だと思うのですが、

そういう「人とモノをみる」力が、半端なかったんだと思います。

 

OODAループでも、

Observe(みる)ということが最初に来ますからね、

人を見る、観察するということは、やっぱり大事なんです。

 

さて、そんな秀吉の食事の時に、

松茸が出てきました。

ご存知のように、秀吉は百姓の出と言われています。

ですから、幼少期には、山で松茸を採っていたんでしょうね、

突然「明日、山に松茸を取りに行くぞ」と言いだしました。

 

それを聞いた家臣たちは、

おいおいと思いながら(多分)、

「殿、わかりました」とばかりに返事をします。

 

しかし…

近隣の山の松茸は取り尽くしています。

これは困った家臣たち。

 

それで彼らが何をしたのかというと…

採っていた松茸を山林にまた植えるということをします。

簡単にいうと、土に埋めなおしたわけです。

 

それで、秀吉は家臣たちと山林に入っていきます。

家臣たちは「殿、ここに松茸が!」くらいな勢いで秀吉に松茸のありかを教えるんですね。

 

でも…

もちろん、秀吉は百姓の出です。

家臣たちがした忖度(笑)なんてお見通しなんですね。

それでも秀吉は「これはまた見事な松茸よのう」と言うわけです。

 

そんな秀吉に対して、

これも忖度家臣が「これは昨日、他の家臣が植えなおしたものです」

なんていうわけです。

どこにでもいますよね、こういう奴。

 

それを聞いた秀吉は、

「そんなことはわかっておる。

ワシは百姓の出だぞ。

家臣たちがやったということもわかっている。

それは善意でやったことだ。

急に松茸をとりたいなどと言ったワシのことを考えてくれてのことだ。

それをなぜ叱れようか」

と言います。

さらに、採った松茸は家臣たちで分けて食べなさい、とまで言うんですね。

 

もし、あなたが秀吉の家臣だったら、

このような対応をしてくれた秀吉をどう思うでしょう?

最近の言い方をするなら「神対応」ってやつですよね。

 


こうした細かい気配り、気遣いの積み重ねが、

秀吉をして天下を統一させたのだと思います。

 

天下統一など、一人の力でできるはずはありません。

実に多くの武将、家臣、そして商人や農民の力が必要です。

その一人一人に対しての気配りや気遣いをしてきた結果が、

天下統一と言う形として現れたんだと思います。

 

侵略の信長と

調略の秀吉

 

侵略の方が目立ちますからね、

信長様が魅力的なのはわかります。

僕も好きです。

 

ですが、大事業を成し遂げたのは秀吉です。

もし、秀吉がいなければ、

天下統一は遅くなり、

日本の戦国時代はあと30年は続いたかもしれません。

 

何でもそうなのですが、

周りに対しての気配り、

気遣いというのは大事なことだと思います。

 

親しき中にも礼儀あり、と言いますしね。

気を配られて、嫌な思いはしないと思います。

立場が上である人であればあるほど、

そういう細かい気配りはとても意味があります。

 

というのも、

「この人のために頑張ってみよう」と思ってもらえるかもしれませんし笑

 

思ってくれるかなぁ、ウチのメンバーは…(苦笑)