shop or workshop?

消費税が10%になって、2ヶ月経ちましたね。

僕はすっかり消費意欲も落ち込み、

ブラックフライデーにも

サイバーマンデーにも

クリスマス商戦にも

乗ることなく過ごしています。

 

消費税が…というよりは、

何となく気持ち的なものなんでしょうけどね、

何となく冷え込んでいるこの冬です。

何となく暖冬なんですけどね。

 

さて、それはともかく、

買い物に行く、という言葉もあるように、

基本的に僕たちは「何かを買いにどこかに行きます」

それが、品物なのかサービスなのかは色々とあるでしょうけど、

何かを買うために何処かへ行って、

その何かのために「お金」を払います。

 

このように「何かのために直接お金を払う」ことは、

ちょっと難しい言葉を使うと「等価値交換」と言います。

これは、680円を払って680円の牛丼定食を食べるとか、

2980円を払って2980円のセーターを買うとか、です。

これらはすぐに品物やサービスを得られるので、

すぐに満足感を得られますよね。

 

では、他にお金を払う行為にはどんなことがあるでしょうか?

例えば、病院はどうでしょう。

病院へ3000円持っていって、

「風邪を治して!」と言っても、治してくれるでしょうか。

まぁ無理ですよね。

お医者さんは医療の専門知識や技術の提供者です。

そして患者さんは病気やケガを治すためにお金を払いますが、

それは患者さんが「健康をください!」と言って、お金を払い、

お医者さんが「毎度あり〜、3000円です」と言って、

健康を渡すような「等価値交換」にはなりません。

30万円払うと30万円分の健康が手に入り、

3000円払うと3000円分の健康が手に入る、

なんてことはありませんよね。

 

患者さんがお医者さんに

「アンタはプロだろ!何とかしろよ!」と言っても、

患者さんが自分の状況を説明したり、

自分の情報提供を拒んだり、

自分の生活習慣を自ら改善しなければ…

医者はきっと何の役にも立てないでしょう。

 

それでもお金は払います。

このような形での買い物(と言っても何かモノを得るわけではないですが)の場合、

では「何にお金を払っている」のでしょうか?

 

それは「将来に対する期待」にだと思います。

そして、患者さんとお医者さんの関係のように、

「一緒に何かを成し遂げる」ことへの投資を、

ここでは「共同プロジェクトへの投資」と呼ぶことにしましょう。

 

 

 みかんせいも共同プロジェクト

当然のことですが、みかんせいも生徒と保護者と講師の共同プロジェクトです。

決して、

10万円払ったから10万円分の成績が伸びる!とか、

1万円だから成績の伸びも1万円ですね、

なんてことは言いません。

 

10万円払っても学力が伸びない子もいますし、

1万円でも驚くほど学力が伸びる子もいます。

 

その差は何ですか?

と聞かれたら、

やっぱり「共同でプロジェクトを遂行しているかどうか」です。

 

みかんせいの場合のプロジェクトは、

当然ですが、「子どもの学力を伸ばす」です。

 

学力には色々なことが含まれますが、

みかんせいでは主に「読解力と思考力」を学力の中心に据えています。

あと「粘り強さと打たれ強さ」もです。

 

この学力向上プロジェクトを生徒が理解して、

一所懸命に遂行しているのかどうか。

これに尽きます。

 

もちろん、講師も同じです。

しかし、みかんせい講師が手を抜くことはありません。

手を抜かなすぎて、時々生徒を泣かせていますし、

恐れおののく生徒もいます。

あっ、別に恫喝しているとか、

大人の権力を振りかざしているってことではないですよ!

ウチはそういうのは嫌いですから。

普通に落ち着いて話しています。

すると生徒がいつの間にか泣いていることがあります。

 

なぜかというと、講師が話しているうちに、

生徒が自らの現状に「気づくから」だと思います。

自らのしたこと(しなかったこと)を悔いる気持ちが情けない気持ちになったり、

できなかったことに対して悔しがったりするからだと思います。

こういう涙は子どもたちを強くしますから、大いに泣いていいと思っています。

 

小さい時にはね、どれだけ挫折してもいいんです。

立ち直る機会も時間もいくらでもありますから。

むしろ挫折を知らないで大きくなってしまうと、

きっとその方が、その子にとって不幸なんじゃないかなって思います。

 

常に完璧じゃないといけないって言うのは、何よりも怖いことのように思います。

そんな人、いませんから。

でもね、大人っていうのは、自分がどれだけ「完璧だ」って思っているのか知りませんが、

他人には(特に子どもに)強要しますよね?

本当の教養がない人に限って、他人には「求める」んですよ。

おっと…、プチ暴走ですかね笑

 

みかんせいの指導の特徴は「生徒を挫折させて、その復活を待つこと」です。

日本社会と違って、一度や二度や三度や数多のミスや間違いや過ちを許容しています。

その人が本気で「もう一度、自分の足で歩きたい」と思えば、いくらでも待ちます。

なので、みかんせいの講師はなかなか忍耐強いんですよ。

愚痴は社長が聞いています笑

 

さて、話がずれました。

「共同プロジェクト」です。

 

 

みかんせいで学習する生徒たちは、

自分で自分を伸ばす努力をしています。

みかんせいの講師たちは、

その生徒が伸びる努力(後押し)をしています。

 

当然のことですが、

その両方の努力が結集しなければ結果は出ないでしょう。

生徒だけが頑張っても、講師だけが頑張っても、望むような結果は出ません。

 

生徒自身が自分の情報を開示しなければ、対策もできませんし、

生徒自身が偽りの情報を提供してしまえば、間違った対策になってしまいます。

時間の無駄ですし、焦りと不安と不満の原因にもなります。

 

大事なのは「両者ともに努力を続ける」ってことです。

だから、みかんせいの教室に来て、ここの空気を吸ってるだけでは、

賢くなることもなければ、勉強ができるようになることもありません。

 

生徒自身も「自分がこういったことをできるようになりたい」と言う気持ちがあっても、

そうなるための相当の努力をしていかない限りは、そうはなりません。

 

気持ちだけで何とかなるなんてことはないんです。

気持ちを行動に変え、行動し続けることなんです。

講師も医者も、学習(生活)指導や診断はできますが、

やるのは生徒であり患者です。

 

そうした中で、講師や医者の役割は、

生徒や患者を冷静に観察し、

そのちょっとの成長にも目を向け、

時には褒め、時には叱咤し、

行動し続けられるような後押しをするだけのものです。

 

もし…

生徒自身が、自分自身で講師や医者の役割ができるなら、

塾も病院もいらないでしょう。

 

まぁ…

みかんせいの目的は、そこにあるんですけどね笑

いつか生徒が自分自身で学習を進められるようになるなら、

独り立ちできるようになるなら、

塾はその役割を終えるだろうなぁって思います。

 

もっとも、

みかんせいのもう一つ「謎の特徴」としては、

なぜか「来たがる塾(場所)」のようで、

楽しんで勉強できるって言う謎の特徴があるので、

そう言うところが好きな子達は、

きっとずっと通ってくれると思います。

 

勉強する場所なんですけどね…

みんな、勉強が好きなのかって言うと、そうでもないような笑

楽しんでくれるのが一番いいことですからね、

そういった意味では、いい塾なんだと思います(笑)

 

と言うことで、

生徒と講師と保護者の共同プロジェクトで、

これからも生徒が独り立ちできる学力を提供し、

一緒に努力を続けていきたいなと思います。

 

それがね、

この日本国を盛り上げる人材を作ることに繋がると思いますから。

いつまでもUSAの大統領や企業にいいようにされる国であってはいけませんからね。

真実を見る目を持つ人材を一人でも多く育てていきたいです。

 

お勉強のできる「ウマシカ」くんではなく、

世情と未来を考える「賢人」をね、輩出したいなって思っています。